牟呂(むろ)城

2019年6月22日撮影


◆別名:

室城

 

◆所在:

豊橋市牟呂公文町12

 

◆交通:

 

◆歴史:

築城は文亀~永正年間(1501年~)、北条早雲が今川氏の武将として三河に侵攻し、岡崎の岩津城近辺で松平長親と戦った時代で、今橋城(吉田城の前身)や野田城、長篠城などが築かれ、地域の豪族達が力を持ち始めた時代。

 

室城は、牛久保城主の牧野氏を始めとした牛久保六騎と共に、今川氏に従属した十七地侍衆(東三河十七騎とも)の一人、室金平が築いた城館で、その後、兵庫政茂が跡を継いだと伝わっている。

 

兵庫政茂は蒲郡市の不相城を拠点とする鵜殿氏と関係があり、鵜殿姓を名乗ったとも言われているが、同名の人物と混乱した部分もあるようで、詳細は不明。

 

享禄2年(1529年)松平清康(徳川家康の祖父)が勢力を伸ばし東三河に侵攻すると、豪族達の一部は松平氏に付き、今橋城の牧野氏と宇利城の熊谷氏を中心とした反松平軍と激戦を繰り広げ、兵庫政茂は松平軍の猛攻にさらされ、討死を遂げたと伝わる。

 

ただし、永禄5年(1562年)まで生き延びて、徳川家康の三河統一戦の際、不相城で討死したとの説も存在している。

 

◆現在:

JA豊橋西すぐ脇に土塁の一部が残されており、神社の鳥居の脇には鵜殿兵庫之城と書かれた、小さな碑が立てられている。