喜見寺(きけんじ)砦

現在の喜見寺は戦後に場所を移して再建された物である

 

2017年11月1日撮影


◆別名:

 

◆所在:

豊橋市花園町88

 

◆交通:

 

◆歴史:

永禄8年(1565年)松平元康(徳川家康)が吉田城攻略の拠点として築いた砦で、深溝城の松平伊忠、下ノ郷城の鵜殿長煕らを配したと言われている。

吉田城攻略後は、吉見喜太郎の居館として、城の南側の守りを担ったと思われる。

 

廃城の年は不明であるが、吉見喜太郎は弓の名手として名高い吉見経孝の父である頼宗か、祖父の頼有と思われ、その先祖を辿ると俵藤太に連なる名家で、子孫は紀州藩士となっている。

 

◆現在:

砦は現在の喜見寺から見て南側に位置していたと言われているが、第二次世界大戦の戦火で寺は消失したため、現在の地に移ったと伝わる。